『シュリ』と『JSA』以来の久々の韓国映画だったが、主演女優のソン・イェジンのかわいらしい、けなげな演技に引き込まれた。ソン・イェジンは日本の女優の誰かに似ているのだが、これだ、という女優がどうしても出てこない。(記憶喪失の私を誰か、助けて)
私が決して見ることはないであろうヨン・ペジュン(ヨン様)の『冬のソナタ』でも、記憶喪失を扱っていた。恋愛ドラマであれ、アクション映画であれ、記憶喪失のプロットはひとつのブームだったのではなかろうか。
記憶喪失に関す� �小説・映画・ドラマ・事件を並べてみる。
フリー野郎発熱映画
最初の2つは"源流"であろう。日本では他にもいろいろありそうだが、とりあえず、記憶喪失の浅丘ルリ子はかわいらしい。
ミシェル滝の賭け
アルジャーノンは脳手術で天才少年に成長していく物語だが、手術効果が切れて記憶が劣化していく過程はアルツハイマー型の記憶喪失そのものだ。
記憶の空白に別のストーリーを埋め込む"洗脳"の話はたくさんあり、『トータルリコール』がその代表格か。虚構の記憶から目覚める過程を扱ったのは何といっても『マトリックス』だろう。
今のところYouTubeでも見られる『メメント』は、短期記憶が10分以上続かない男性が主人公だ。記憶の断片的な場面をフラシュバック形式で、何度も何度も繰り返しながら、謎解きに迫っていく手法は斬新だった。
会話のシーンがある。「そんなメモなんて当てにならない」「記憶なんてものこそ、当て� ��ならない」
短期記憶をなくすと、覚えておくべきことはすべてメモしておかなければならない。居眠りはもちろんのこと、ふとぼんやりと過ごしながら10分が経過してしまうと、いま、なぜ自分がここにいるのか、わからなくなる。
昏睡状態と本物が来て、見てください
主人公は出会った人を必ずポラロイドカメラで写真をとり、写真の余白にその人物に関する情報をメモ書きする。だが、写真や筆跡は捏造される恐れがあるため、本当に大事な情報は、体に刺青で彫り付けていく。
TVドラマ『君が僕を忘れても』は、韓国映画『頭の中にある消しゴム』の原作だ。部屋中のものにメモやポストイットを貼りつけられる場面や、綴られる手紙の数々はもの悲しい。野球の話に数論を織り交ぜた『博士の愛した数式』の場合は、短期記憶のリミットが80分になっている。
『ペイチェック』は極秘事項の記憶消去に応じる対価として高額のお金を受け取る話から始まるSF。『50回目のファーストキス』� �は主人公の短期記憶は丸1日が限度で、彼とつきあっても毎回が初デートとなり、万が一ベッドを共にして一夜を明かしてしまうと、翌朝は「あんた誰なの〜!!」と絶叫することになる。
記憶の問題で考えさせられたのは、「書かれたことが"意志"になっていく」ということ。メモやスケジュール手帳は単なる外部記憶装置ではあるものの、人生の大きな決断の場面や、刺青を彫るまでに刻印しようという状況では、意志そのものに変貌する。
一方、記録されたものも同様に当てにならない。この世がいかに誤字脱字、誤解、誤訳、誤報で満ちあふれているかを思い知り、今日も謙虚に自己研鑽するべし。
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